みやじ豚

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みやじ豚誕生秘話


これ、宮治んちの豚なの?-原点のバーベキュー

僕らがまだ大学生の頃、養豚農家を営む親父が育てた豚の肉で、友人とバーベキューをしたときのこと。「また食べたい!どこで買える?」と聞かれて頭が真っ白になった。

 「大輔、うちの豚肉、どこで販売してるか知ってるか?」
 「いや、わからない。親父に聞いてみれば?」

 親父の説明によると、流通の過程ではどの農場の肉も一緒にされ、店頭では誰が育てた肉かなんて分からないらしい。たまたまその日は、コンテストに出品した豚がお肉として戻ってきていたので、家で食べることになったのだった。 この日、「うちの肉ってこんなうまかったんだ!」という驚きと、「何かおかしくないか?」というモヤモヤが残った。弟の大輔は、「こんなうまい豚肉を親父の代で終わらせてはいけない」という思いを心に秘めた。


湘南の田園地帯で育った僕ら兄弟

湘南の田園地帯に生まれ育った僕らは、農家が多い地域だということもあり、家業の養豚には特別な関心も持たず、のびのび育った。

僕はクラスのムードメーカーで、高校からは歴史小説に夢中になり「男たるもの天下を取る。一国一城の主は社長だ。起業を志そう」とやみくもに勉強。だけど、どんな仕事で起業したらいいのか見いだせず、慶應義塾大学総合政策学部卒業後は大手人材派遣会社に就職した。
弟の大輔は、クラスでは目立つ方ではないが、興味を持つとずば抜けた集中力を発揮するタイプ。大学で本格的に始めた将棋でも、例がないほど短期間で腕をあげ、団体戦での全国優勝に貢献し、周囲を驚かした。明治大学農学部卒業後は、大手外食チェーンに入社し、厨房から接客までをこなした。


こんな小さな養豚農家に、後継ぎは二人もいらねえ!

親父は、養豚を継いでも継がなくてもどっちでもいいと言っていた。
それなのに、奇しくも兄弟そろって同じタイミングで実家に戻ることになる。起業を志して勉強するうちに、農業の魅力と可能性に気づきはじめた勇輔と、あのバーベキュー以来、変わらぬ思いを持ち続けた大輔。

「こんな小さな養豚農家に、後継ぎは二人もいらねえ」
「聞いてくれよ、親父。農業を『新3K』にするんだ!」

従来の農業は『きつい、汚い、かっこ悪い』ということから3K産業とまで言われる仕事だ。それでもみんなから「おいしい」と評価される豚を育てる親父の仕事は、決して蔑まれるようなものじゃない。


一次産業を『かっこよくて、感動があって、稼げる3K』産業に

「生産からお客さんの口に届けるまでを一貫してプロデュースする。かっこいいだろう。顔が見える相手に直販で売れば、『宮治さんのお肉、おいしい〜』って声も聞ける。感動もあるよ。うまくて安全な豚肉を食べてもらえば、お客さんもつく。きっと稼げるよ。『かっこよくて、感動があって、稼げる。『農業新3K』だ。それには生産する大輔と、売る俺の2人が必要なんだよ」


自信を持って食べてもらえる豚だ。うちの名前をそのまま使おう

顔の見えるお客さんにうちの肉を売るには、まずバーベキューだ。うちの肉のおいしさを伝えるには、一番良い方法だと思って開催した。当日は、母がせっせと地場の野菜を切り、親父と大輔は会場で肉を焼いた。

「うぁ〜脂身がおいしい!全然、豚臭くない!!」
「勇輔の友達かい?ありがとう。たくさん食べていってくれよな」

そこには、こんなに嬉しい事はないって顔をしている親父の姿があった。丹精込めて作った豚肉を、目の前で「おいしい、おいしい」と言って、喜んでくれる人がいる。親父の顔を見て、僕がやろうとしていることは間違ってないと確信した。

「自信を持って食べてもらえる豚だ。だから、うちの名前をとって『みやじ豚』にしよう」
以来、みやじ豚バーベキューは毎月開催。口コミで参加者が増えていき、メディアの取材もくるようになった。それに伴い、評判を聞きつけたレストランとの取引も始まった。

そして2006年、僕らは親父と共に株式会社みやじ豚を設立した。



みやじ豚のビジョン

みやじ豚

みやじ豚のミッション

みやじ豚

会社概要

会社名
株式会社みやじ豚
設立年月日
2006年9月1日
会社役員
代表取締役    宮治昌義
代表取締役社長  宮治勇輔
取締役      宮治大輔
監査役      石井一夫
所在地
〒252-0824 神奈川県藤沢市打戻539
連絡先
TEL 0466-48-2331
事業内容
みやじ豚の生産・加工・販売
湘南バーベキュー文化創造事業
農産物ブランディング事業